山伏山(やまぶしやま)
形式:舁山
巡行順番:2番目(山一番)令和5年
稚児:―
御神体:浄蔵貴所
主管:山伏山町会
住所:京都市中京区室町通蛸薬師下ル
公式サイト:―
この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。
昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。
左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝をつけている。
欄縁金具は飛鶴、水引は機織図を描く綴錦、前懸は雲龍文様の刺繍、胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦を用いている。
見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復元された。
巡行の数日前より聖護院の山伏たちの巡拝があり、また八坂神社からの清祓も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗のものが用いられている。
明治初年の神仏分離以前の姿をこの山にみることができる。
御神体が山伏(修験僧)の姿をしているのでこの名で呼ばれる。江戸時代、民間信仰として修験道が盛んだったので、山の趣向に役行者山と共に用いられたと思われる。
山上は、昔、八坂の法観寺の塔が傾いた時、法力によってそれを直したという、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の大峰入りの姿を表している。
左手に刺高数珠(いらたかじゅず)、右手に斧を持ち、腰には法螺貝を付けている。輪宝紋の付いた頭襟(帽子)、小袖に篠懸(被衣)、半切袴、聖護院より贈られた結袈裟(通常の僧の輪袈裟い当たる)のこしらえである。
浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)
浄蔵(じょうぞう、寛平3年(891年)- 康保元年11月21日(964年12月27日))は、平安時代中期の天台宗の僧。父は三善清行。兄弟に日蔵がいる。
宇多法皇に師事して出家。比叡山で玄昭に密教を、大慧に悉曇を学んだ。扶桑略記によれば、909年(延喜9年)怨霊となり藤原時平を祟っているという菅原道真を調伏しに行くが、時平の両耳から青竜に化現した道真が現れ祈祷を制止したので調伏を辞退した。その後、ほどなくして時平は死去したという。 935年(承平5年)から940年(天慶3年)にかけて平将門が関東で乱をおこすと、その調伏のため修法を行い霊験があり、その他にも験があたったという。美声の声明を行うことでも知られ、また天文・医薬にも通じていた。
御神体人形の結袈裟は聖護院から贈られた本物の山伏装束
付け髭は人毛
その他のトピックス
宵々山には聖護院から山伏が会所に来て祈禱を行う
町会の人は毎年6月に奈良県の大峰山に登り祭の祈願をする
前掛けや飾り房は菊水鉾から贈られたもの