鶏鉾
形式:鉾
巡行順番:9番目 鉾一番(令和5年)
稚児:人形(名前はない)
御神体:―
主管:鶏鉾保存会
住所:京都市下京区室町通綾小路上ル鶏鉾町500番地
公式サイト:鶏鉾保存会 (niwatorihoko.com)
中国の史話より取材、昔、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつしたものという。
鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にある意味で、鶏鉾の名の象徴となっているともいわれるが、はっきりしたことは不明である。
真木のなかほどの「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀る。
天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(1752~1811)、松村景文(1779~1843)など四条派画家の下絵になるものである。
前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて用いる。
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。
この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。
公式サイトより
中国古代、堯(ぎょう)の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事にあやかった言われています。
鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にあるという意味で、鶏鉾の名の象徴となっているともいわれるが、はっきりしたことは不明です。
『イーリアス』:トロイアの戦争物語・タペストリー
出陣するヘクトールの妻子との別れ(部分)
鶏鉾の装飾品で一番有名な見送は、トロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図となっています。
この見送は毛綴で織られており、16世紀後半頃ベルギーのフランドル地方で製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されています。
鶏鉾の前後の妻を飾る浮彫。鶏の雌雄一対を岩座上にあらわし、背景には牡丹をあらわしています。
前(上段)はむかって右に雌を内向きにあらわし尾羽を立てて歩く姿、 むかって左の雄は立って外側を向き、頭を下げて左方に振り何かを ついばむ姿です。
後(下段)はむかって右にうずくまる雌鶏が後方を振り返り、その後方には雛がいます。むかって左の雄鶏は立ち姿で内を向いています。雄が阿形、雌が吽形をなしています。
その他のトピックス
中国古代、堯の時代は天下がよく治まって太平が続き、訴訟用の太鼓(諫鼓【かんこ】)にも用がなくなり苔が生え、鶏が宿ったという『諫鼓』の故事にあやかり、理想の天下を希求して鉾の趣向にしたといわれているが、現在の鉾からその趣向は見いだせない。
鉾頭の三角形の中の円形は、鶏卵が諫鼓の中にあるという意味で、鶏鉾の名の象徴になっているともいわれているが、はっきりしたことは不明である。
真木の『天王座』は船形で、海上の守護神である住吉明神が祀られている。
鶏鉾の鶏は妻飾りの他に稚児人形の宝冠にもいます。
巡行の際の引手の傘が赤いのは鶏のトサカからきている。