油天神山
形式:舁山
巡行順番:10番目 山六番(令和5年)
稚児:―
御神体:天神
主管:油天神山保存会
住所:京都市下京区油小路通綾小路通下
公式サイト:―
古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路綾小路下ルにあるところから、「油天神山」とも、また勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれる。
山は正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿にはもと風早家に伝来し後に町内の祠に祀っていた天神像〔寛永7年(1630)製作〕を安置する。
真木の松の他に紅梅の枝をはなやかに立て鈴をつけている。
水引はパリのクリュニイ博物館所有のタピスリーを図案に用いて、平成18年新調、前懸は雲龍文様の繻子地錦、宵飾りの胴懸は19世紀のカザフ絨毯、見送は毛綴の宮廷宴遊図であったが平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織を、前懸は平成6年に龍図錦織を新調、胴懸は左右共に前田青邨原画で、平成12年・13年新調の紅白梅を用いる。
欄縁は、前部だけ凹形に切り込んだ社殿をはっきり見せたもので、天保4年(1833)製作の牛と梅の錺金具がついている。
天神山は古くから2基あるが、下京区油小路通綾小路下ル風早町のこの山は油小路通にあるところから油天神山と呼ばれる。
また勧請(かんじょう)の日が丑の日であったことから別名「牛天神山」ともいわれている。
過去に天明の大火(1788)、元治の兵火(1864)と2度の災難に見舞われているが、人々の努力によりその都度復興し現在に至る。
特に天明の大火の時は、後に町名の由来ともなった風早家という公家が復興に力を尽くしたといわれ、社殿には風早家伝来の木彫彩色天神像を安置する。
その他のトピックス
装飾品の多くは平成になってから新調された。
町会の人が自らヨーロッパに視察に出向き目を肥やしてから新調したもの。
山に紅梅があるのは天神(菅原道真)にちなんだもの。
他にも所々に梅の装飾があしらわれている。(粽にも)