孟宗山

形式:舁山

巡行順番:11番目 山七番(令和5年)

稚児:―

御神体:孟宗

主管:孟宗山保存会

住所:京都市中京区烏丸通四条上

公式サイト:―

「筍山」ともいう。

山に飾る御神体(人形)は中国の史話二十四孝から取材。

病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘りあてた姿をあらわしている。

人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っている。

欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(1844~1895)の下絵、見送はかつて雲龍文様の綴錦を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図のものが用いられている。

この地味な墨画の見送は、極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩をはなっている。

また、平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」は、平成20年、21年に新調された。

孟宗山 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 (gionmatsuri.or.jp)

中国の史話、二十四孝の一人孟宗が雪中に筍を掘った話を趣向とした山である。

孟宗は中国三国時代(二二〇-二八〇)の江南の人。

母の好物が筍だったので、老いて病の時に、孟宗あ母に筍を供したいと考えた。

しかし厳冬だったので筍があるはずなく、竹林をさまよい竹を抱き嘆息していると、雪をついて四、五本の筍が頭をもたげた。

歓喜して持ち帰り、母に食べさせたところ、病も治ったという話である。

御神体は左手に鍬を担ぎ、右手に筍一本を持って喜んで帰って行く姿を表している。

京都市下京区役所:山鉾の魅力細見・山鉾由来記 (kyoto.lg.jp)

その他のトピックス

御神体や松に綿を載せているのは雪をイメージ。

御神体(孟宗)が笑顔というのは珍しい。