霰天神山
形式:舁山
巡行順番:12番目 山八番(令和5年)
稚児:―
御神体:天神
主管:霰天神山保存会
住所:京都市中京区天神山町286
錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。
山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。
前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。
山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、雷除け」の御守が授与される。
公式サイトより
錦小路通室町西入にあるので、「錦天神山(にしきてんじんやま)」ともいわれる。
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、 時ならぬ霰が降り猛火はたちまち消えたが、そのとき 天神像が、霰とともに降って屋根に止っていたので、その奇瑞(きずい)に感じてこれを祀ったのがこの山の起りであるという。
それゆえ、この山は「火除天神(ひ よけてんじん)山」とも呼ばれる。
山 の上には欄縁にそって朱塗り極彩色 の廻廊(かいろう)をめぐらし、中央 に唐破風(からはふ)春日造(かすがづくり)の神殿を安置する。
前懸は16 世紀にベルギーで製作さ れた「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、 中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。
左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、 上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽 図」(平成21年復元新調)が用いられている。
山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、 雷除け」 の御守が 授与され ます。
永正年間(1504-1520)京都に大火があったが、時ならぬ霰が降って猛火がたちどころに消えた。
あの時一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりとされている。
古来、社寺で火除護符を出しながら本元の社寺が焼失したという例が多いが、この霰天神山では、天明、元治の大火で隣町の山鉾が焼けてもこの町は被害を受けなかった。
山の縁起にちなみ、宵山では『火防(ひぶ)せ、雷除け』のお守りが授与される。
18世紀初めの正徳年間(江戸中期)に山を改造し、両側と後面を透塀(すかしべい)とし、真松の代わりに若松12本を塀内に並べ、社殿の屋根を大きくし山胴を廃し鳥居内に榊一対と紅梅2本を立てるという独特な山を考案しました。
前掛は16世紀ベルギー製の毛綴を用いていましたが、昭和56年から中国刺繍「太湖岩鳳凰図」に替えています。異色な設計の山本体が見どころです。