保昌山
形式:舁山
巡行順番:14番目 山九番(令和5年)
稚児:―
御神体:平井保昌
主管:保昌山保存会
住所:京都市下京区東洞院通松原上
公式サイト:―
丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。
御神体(人形)は緋縅の鎧に太刀をつけ、梨地蒔絵の台に紅梅を一杯にもってこれをささげている。
頭は明応9年(1500)、胴は寛政(1789~1800)頃、町内に住んでいた彫刻師勇祐の作であるという。
前懸の緋羅紗地に蘇武牧羊図、胴懸の張騫巨霊人に鳳凰虎を配した刺繍は円山応挙(1733~95)の下絵である。
近年それらを復元新調している。
下絵は別に屏風に仕立て保存している。
見送は福禄寿、弁財天に唐子を配した綴錦で寛政10年(1798)の作、水引は雲龍波濤文様に鳳凰鶴虎を配し、特に孔雀の羽根を縫込んだ刺繍の逸品である。
また、平成23年にご神体引敷が新調された。
山の故事にちなみ宵山には「縁結び」の御守りが授与される。
この山の主人公である平井保昌(やすまさ)は藤原大納言元方の孫、致方(むねかた)の子で武勇に優れ、和歌にも堪能であり左馬(さまの)頭、丹後、大和、摂津などの守を歴任し、藤原道長に仕えた人物である。
保昌が官中の女官に恋をし、女官の紫宸殿の梅を手折ってほしいとの願いで、夜陰に宮中に忍び入り、梅を手折って無事に役を果たしたという話がこの山の趣向である。
それゆえに『花盗人山』と呼ばれている。
その女官、後に保昌の妻になったのが、和泉式部である。
恋のために花を手折ってくる姿を表しているので、明治初年までは「花盗人山」と呼ばれ、親しまれてきた山です。
前掛と両胴掛が円山応挙の円熟期の下絵として特に有名です。
また、その下絵が3点とも屏風に仕立てられて大切に保存されています。
水引は孔雀の羽を縫い込んだ刺繍の逸品で、前掛、胴掛も刺繍なので、刺繍美の楽しめる山ともいえます。
その他のトピックス
平井保昌は大江山で酒吞童子を退治した武勇伝でも有名。
身に着けている鎧は明智光秀の嫡男である光慶(みつよし)が付けていたものと伝えられている。