伯牙山
形式:舁山
巡行順番:18番目 山十一番(令和5年)
稚児:―
御神体:伯牙
主管:伯牙山保存会
住所:京都市下京区綾小路通新町西入矢田町127-1
「琴破山」ともいわれる。
山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。
人形は手に斧を持ち前に琴が置かれている。
人形には「金勝亭賽偃子」の墨書銘があり、天明以降の作と考えられている。
前懸には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」をかけその下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引によって飾っている。
胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦で、見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。蝶型の角金具は珍しい意匠である。
中国周代の琴の名手伯牙が、真に自分の琴を解してくれた友人が亡くなったことを嘆き、琴の弦を断って再び弾くことがなかったという『禁断の友』の話を趣向したという説と、晋の時代の琴の名手が、武陵王の召命を受けた時、一介の楽人として召されるのを潔しとせず、琴を割った故事によるという説がある。
御神体は手に斧を持ち、琴を今にも打ち破ろうと見おろしている。
維新前は『琴破山』と呼ばれたが、『保昌山』『郭巨山』と同様に明治4年に改名された。
他の山鉾は、珍しいもの、新しいものを採り入れ、より立派なものへといった考え方に立っていたので、装飾に統一性のないものが多いのですが、この伯牙山は唯一中国風に統一された珍しい山です。
前掛は中国明代の名品で、水引や胴掛、見送などは、日本製のものであっても図柄は中国風と、すべてが山の趣向に合わせ調和が図られた山です。
伯牙山は戦後町会所がなくなったが、同町で200余年の歴史をもつ旧家、杉本家の表の間が飾り席となっているので、雰囲気ある宵山飾りが楽しめる