蟷螂山
形式:舁山
巡行順番:19番目 山十二番(令和5年)
稚児:―
御神体:祇園三社の軸
主管:蟷螂山保存会
住所:京都府京都市中京区蟷螂山町479
蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。
その起源は南北朝時代で、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(1292~1352)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。
その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(1864)でその大部分を焼失してしまい、昭和56年、117年ぶりに再興された。
蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。
懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。
公式サイトより
蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事に由来をもちます。
その起源は、南北朝時代の当町在住の公卿 四條隆資の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で同じく当町居住の陳外郎大年宗奇が、永和2年(1376)に四條家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのが始まりと云われています。
幕末の大火以降、長らく休み山となっていましたが、昭和56年(1981)に117年ぶりの再興を果たしました。
祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されており、かまきりと御所車の車輪が動きます。
また、懸装品(前懸、胴懸、見送等)は羽田登喜男 作による友禅で、一式を揃えられています。
その他のトピックス
『蟷螂の斧を以て降車の隧(わだち)を禦がんと欲す』という、中国梁時代の昭明太子の詩文集に出てくる言葉から着想された山である。
南北朝時代に、当時足利義詮軍と戦って死んだ当町在住の公家の武勇ぶりを、弱い者が自分の分や力を考えず、はかない斧を頼りに大敵に向かって盲信することを風刺した意味のこの一文になぞらえて趣向した。
この山は再三の戦火で安政4年(1857)を最後に巡行しなくなったが、町内の人々の努力が実り昭和五十六年から約100年ぶりに巡行することになった。
昭和56年に約100年ぶりに復活した山です。前掛、胴掛は友禅作家羽田登喜男の手になる色彩豊かなものです。
見送は皆川月華の豪快な作品が使われています。
特徴は山鉾の中で唯一見られるからくり仕掛けで、鯨髭をバネに用いた精巧な糸あやつり木彫の大かまきりは、首や手鎌が動き、羽を広げ、御所車は車輪が回転します。
そのユーモラスな動きは見て楽しいものです。
からくりは四人がかりで動かしている。
山鉾で友禅染を使用している唯一の山。