放下鉾

形式:鉾

巡行順番:21番目 くじ取らず

稚児:「三光丸」人形

御神体:―

主管:放下鉾保存会

住所:京都市中京区新町通四条上

公式サイト:Home | houkboko (jimdosite.com)

鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。

鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。

かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。

稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。

この鉾は明治の中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。

破風正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成したものである。

下水引は与謝蕪村(1716~83)下絵の琴棋書画図であったが平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織になっている。

三番水引の青海波におしどり図綴織は駒井源琦の下絵によるものだが今はその復元品を用いている。

前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。

見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである。

旧胴懸として16世紀製の描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴が保存されている。

平成22年(2010)には天井幕「四季草花図」(原画・柴田是真)が新調された。

放下鉾 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 (gionmatsuri.or.jp)

公式サイトより

放下鉾とは

○名前の由来
⇒真木(しんぎ)のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祭るのに由来する。 

○稚児
⇒かつては「生稚児」であったが、昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下(くにのみやたかおうでんか)より三光丸(さんこうまる)と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。

〇デザイン
明治25年(1892年)頃から胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。

・破風(はふ)正面の三羽の丹頂鶴(たんちょうづる)(後面(こうめん)二羽(にわ))は幸野楳嶺(こうのばいれい)(1844~95)の下絵を高浮彫(たかうきぼり)し大正6年に完成したものである。

・下水引は与謝蕪村(よさぶそん)(1716~83)下絵の琴棋書画図(きんきしょがず)であったが、平成6年(1994年)から栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)の国宝華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん)を下絵にした綴織(つづれおり)になっている。

・二番水引 「緋羅紗地(ひらしゃじ)に牡丹(ぼたん)と兎(うさぎ)」(金糸刺繍)

・三番水引 「青海波(せいがいは)に鴛鴦(おしどり)」(錦織)下絵は江戸中期の絵師駒井源琦(こまいげんき)の作とされる。明和三年(1766)の錦地で、今はその復元品を用いている。

復元新調していた二番三番水引は令和元年に完成し、お披露目される予定となっている。

・前懸(まえかけ)・胴懸(どうかけ)には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。

・見送は現在、皆川泰三(みながわたいぞう)氏による「バグダッド」が使用されている。これは、二羽の白く美しいフクロウが月の光で金色に輝くモスクのドームとミナレットを背景に大きく羽ばたいている情景を描いている。この作品は、麻地に藍(あい)のロウ染めで染め上げられているが、純金箔 やプラチナ箔なども、用いられており豪華である。

旧見送りとしては文政 11 年(1828)京都西陣で作られた錦綴双鳳唐子遊楽図(にしきつづりそうほうからこゆうらくず)がある。旧 胴懸として 16 世紀製の描絵玉取獅子(かきえたまとりじし)、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴(ちょうせんけつづれ)が保存されている。

・平成22年(2010)には天井幕「四季草花図(しきそうかず)」(原画・柴田是真(しばたぜしん))が新調された。

・鉾頭(ほこがしら)は日月星の三光が下界を照らす様子を表現する。その型が洲浜に似ているので「すはま鉾」とも呼ばれる。

その他のトピックス

『放下』とは禅語では『ほうげ』と読み妄念や物への執着を捨て、俗世を解脱する意である。

この鉾の創建当時、街頭で手品や曲手鞠などの修練を要する芸を見せて人を集め、仏法を解く『放下僧』という人々がいて町の人気者だった。

この放下僧を鉾の趣向にし、天王座に放下僧を祀ったことからこの名で呼ばれる。

鉾頭は、日、月、星の3つの光が下界を照らす形を示し、その形が洲浜に似ていることから、『すはま鉾』の名で親しまれてきた鉾である。

 

明治中期に胴組や天井、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された鉾です。

そのため、明治の四条円山派の画家、幸野楳嶺下絵の破風正面の3羽の丹頂鶴など明治以降の工芸装飾が楽しめる鉾ともいえます。

また、昭和4年から稚児に替えて、鉾上で稚児舞ができる唯一の操り稚児人形「三光丸」を乗せ、人形ならではの愛らしい舞いも評判の鉾です。

京都市下京区役所:山鉾の魅力細見・山鉾由来記 (kyoto.lg.jp)

祇園祭「放下鉾」 与謝蕪村が下絵を描いた装飾品新調 |NHK 京都府のニュース

「放下鉾」は、来月17日に行われる祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行に参加する鉾のひとつです。
鉾の舞台のすぐ下には、江戸時代に画家としても活躍した与謝蕪村が描いた下絵に刺しゅうを施した装飾品が飾りつけられていましたが、制作から200年以上がたち、傷みが目立っていました。
このため、西陣織も手がける京都の美術会社が8年をかけて新調し、15日、報道関係者などに公開しました。
新調された装飾品は4枚で1組になっていて、中国の文人や官僚のたしなみとされた「琴」や「書」などを題材にした色鮮やかな刺しゅうが施されています。

稚児人形の「三光丸」は三人がかりで、かなり滑らかな稚児舞を披露することができる。