岩戸山

形式:曳山

巡行順番:22番目 くじ取らず

稚児:-

御神体:天照大神、手力雄尊、伊弉諾尊

主管:岩戸山保存会

住所:京都市下京区新町通仏光寺下

公式サイト:公益財団法人 岩戸山保存会 (iwatoyama.jp)

天岩戸を開いて天照大神の出現される日本神話から取材している。

山とはいえ室町時代狩野永徳の洛中洛外図屏風で見られる岩戸山にはすでに車輪が描かれており鉾と同じ車をつけた曳山である。

曳山で、鉾柱のかわりに屋上に真松を立てている。

三体の御神体(人形)を飾るが、天照大神は白衣姿で胸に鏡をかけ、脇に安置される手力雄尊(戸隠大明神)は白衣に唐冠をかむり、屋根の上には太刀をはき天瓊矛をつき出した伊弉諾尊を安置している。

屋根裏の金地著彩草花図は今尾景年(1845~1924)73歳の筆、前後軒裏の金地著彩鶺鴒図は弟子の中島華鳳筆(昭和6年)である。

下水引は鳳凰瑞華彩雲岩に波文様紋織(平成15年復元新調)、二番水引は緋羅紗地宝相華文様刺繍、三番水引は紺金地雲三ツ巴五瓜唐花文様綴織(共に平成17年復元新調)、前懸は玉取獅子図中国絨毯、胴懸は唐草文様インド絨毯である。別に旧前懸として17世紀李朝製で描絵玉取獅子、鳳凰、虎、鶴文様の朝鮮毛綴のものが保存されている。

見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織(一部刺繍)を用いている。

ほかに皆川泰蔵作の「ヴェネチァ図」がある。

また、平成23年には天井幕「白茶地五彩瑞雲文様」が新調された。

岩戸山 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 (gionmatsuri.or.jp)

公式サイトより

【 岩戸山の起源 】

岩戸山が何時創建されたのかは不明であるが、最初の記録は八坂神社の社宝「祇園 社記」第十五に記された、応仁乱1467前分として山鉾名を列記した中に、岩戸山  五条坊門町(仏光寺)と高辻間 とあり、これが記録上の最初である。

然しこれは応仁の乱に至る約30年間に巡行した 山鉾の名を記したものであるから、岩戸山の創建は少なくとも嘉吉元年(1441)の祇園 会再興の際に、建立されたものと推測される。

【 あまのさかほこ山 】

応仁の乱により焼野原となった京洛の町は、祇園山鉾も災害を受けたに違いない。 明應5年(1496)「祇園社記」第十五応仁の乱後の再興として山鉾名を記載してある中 に、五条坊門町高辻間あまのさかほこ山とあり、岩戸山の名が「あまのさかほこ山」 となっているのである。

岩戸びらきに関係のない天の逆矛を持った伊弉諾命が人形として、 新たに飾られ変更が加えられたと思われる。

【 信長と山鉾 】

室町時代の末期は戦国時代で、山鉾も衰退しており、巡行も途絶えがちであった。

織田信長の進出、豊臣秀吉の天下統一により、山鉾も次第に挽回し豪華絢爛になって いった。

天正19年(1591)税金免除の恩典が布かれ、山鉾は急速に豪華になった。

「信長が祇園会を再興した」という説は、信長が直接指揮をしたのではなく、信長秀吉時代によって成功した社会が山鉾の交流をもたらしたのである。

【 洛中洛外図 】

桃山時代の岩戸山の絵が、幸いにも上杉家所蔵の「洛中洛外図屏風」に描かれてい る。

作者は有名な狩野永徳と伝えられ、現存する岩戸山の図としては最古のものであ る。

ここで注目すべきは、伊弉諾命ただ一体を飾っていたと思われ、明應5年(1496) の「祇園社記」にある「あまのさかほこ山」と思わされる。

然し岩戸山であった名残 は、鳥居に鶏の姿にとどめられている。

2022年の「天岩戸のカミあそび」

その他のトピックス

古事記、日本書記に記される「国産み」と「天の岩戸」の2つの神話を併せて趣向にした曳山である。

御神体は3体で、白衣装で胸に鏡をかけた天照大神(あまてらすおおみかみ)、その脇に安置された手力男命(たじからおのみこと)(戸隠大明神)は白衣に唐冠(とうかん)をかぶり、屋根の上には太刀を付け天瓊矛(あまのぬぼこか)を突き出した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を安置している。

鳥居には常世(とこよ)の国の長鳴鳥(ながなきどり)(鶏)がとまっている。前後軒裏に描かれた鶺鴒(せきれい)は、国生みの方法を教えた鳥と、神話一色の山である。

 

山と名付けられていますが、鉾と同様に車を付けた曳山です。

室町末期に曳山に改造されたもので、その名残りとして、鉾頭の替わりに松を立てています。

また、屋根に御神体を乗せる珍しい山としても知られています。

屋根裏には今尾景年の晩年の力作絵画が、前後軒裏は景年の意思を受け継ぎ弟子の中島華鳳が描き上げた、師弟の絵の競演が楽しめる山でもあります。

京都市下京区役所:山鉾の魅力細見 -岩戸山- (kyoto.lg.jp)

見た目は鉾だが、屋根に真松があるので曳山と判別できる。

御神体(伊弉諾尊)が巡行時に屋根に登っているのは岩戸山のみ。

過去の記録では手力雄尊は天岩戸を持っていたらしい。